都内と近郊の一等三角点

 都内と近郊の一等三角点がどんな所か見に行った結果と、全国測量の開始点である「相模野基線」や明治時代の標石が残っている「雲取山の原三角測點(測点)」の現地解説板の内容を収録しました。今回調査した一等三角点14ヶ所の位置は下記の地図のとおりです。

都内と近郊の一等三角点14ヶ所のマップ

出典: 国土地理院地図 (赤字を追記)


一等三角点はどんな所か

 三角点とは日本の地形図を三角測量で作成するための基点で、一次測量のための一等三角点は原則40kmほどの間隔で全国に約1000箇所設置されています。三角点の標石は山中でよく見かけるので一等三角点ならば「遠くからでもよく見える高い山の山頂にあるのだろう」と思っていましたが、調べてみると平地や里山にもあることがわかりました。


都内と近郊の一等三角点

①下溝村

相模原市麻溝台 標高:97.2m
《相模野基線北端点》全国を三角測量するにあたり開始点とされた所の一つ。相模原台地の郊外っぽい場所に解説板がある5坪程の公園があった。
一等三角点 下溝村

②座間村

座間市ひばりが丘 標高:74.9m
《相模野基線南端点》下溝村の三角点と共に相模野基線として全国測量の起点となった。町医者の裏口階段の下にあり今は測量できそうにない。
一等三角点 座間村

③長津田村

横浜市緑区 標高:100.4m
横浜市緑区最高標高の飯縄神社(高尾さま)境内にあった。西側は畑が開けていて見晴らしが効き、ベンチからは特に丹沢方面の展望が良い。
一等三角点 長津田村

④鳶尾山

厚木市棚沢 標高:234.1m
厚木と津久井湖のちょうど中間あたり、中津川の右岸丘陵にある。都心方面が一望できて麓の団地からの軽いハイキングコースになっている。
一等三角点 鳶尾山

⑤連光寺村

多摩市連光寺 標高:161.8m 多摩市最高点の看板がある天王森公園(八坂神社)にあった。付近は多摩ニュータウンとしてすっかり様変わりしているがこの一画だけは昔のままなのだろう。
一等三角点 連光寺村

⑥日本経緯度原点

港区麻布台 標高:26.6m 麻布台のきわ、ロシア大使館の裏には大正末まで東京天文台があったので天文学と関係が深い経緯度原点が置かれたらしい。近くに一等三角点「東京」もある。
日本経緯度原点

⑦三鷹村

三鷹市大沢 標高:57.9m
国立天文台敷地内だが塀の間際にあるので外からでも見える。野川のハケ線に近いが見晴らしは悪い立地と感じる。測量時はやぐらを組んで実施したようだ。
一等三角点 三鷹村

⑧上沼部

世田谷区奥沢 標高:40.8m
高級住宅街田園調布にも一等三角点がある。放射線状に広がる街路の先の玉川浄水場。正門の脇から覗くと、手入れされた庭の奥にそれらしきものが見えた。
一等三角点 上沼部

⑨徳丸

板橋区徳丸 標高:34.4m
住宅街のアパートの前に何気なくあったが住人も都内に数点しかない物とは認識していないだろう。北側が窪地の地形なので昔は見通しがあったのだろう。
一等三角点 徳丸

⑩根岸

川口市新井宿 標高:6.3m
市立グリーンセンターという有料公園の中にある。標石は日本地図が描かれたマンホール内にあるようだ。平成18年に南西約800mから移設したとある。
一等三角点 根岸

⑪本郷

所沢市本郷 標高:57.3m
柳瀬川中流の清瀬金山公園から見える東福寺の白い観音像の右手から河岸段丘を登った畑の中にあった。休耕期なので広々している。
一等三角点 本郷

⑫高根

西多摩郡瑞穂町 標高:194.0m 狭山丘陵の西端、野山北・六道山公園の中の三角点広場にある。荒川水系の不老川と多摩川水系の残堀川の分水領に位置している。
一等三角点 高根

⑬物見山

日高市・毛呂山町境界 標高:375.3m
彼岸花で有名な高麗の巾着田から奥武蔵自然歩道を辿ると行ける山です。三角点は頂上の展望広場から一段下りた植林の中にあります。
一等三角点 物見山

⑭雲取山

奥多摩町・埼玉・山梨県境 標高:2017m
東京都で一番高い山で、台形の山容は都心からも確認できる。頂上にある昔の三角点、原三角測点もこれまた台形です。   >雲取山の三角点群
一等三角点 雲取山



相模野基線とは

一等三角点 下溝村の解説板より(一部略)

 相模野基線北端点は、明治15年(1882年)に陸軍参謀本部測量課が地形図全国整備計画に基づき近代測量の最初の基点である相模野基線を設けるにあたって、同基線の北端である当時の高座郡座間下溝村に設置したものです。
 相模野基線とは当時の高座郡座間入谷村に設置された南端点とを結んだ直線のことを言います。明治15年に両端点間の実測測量がヒルガード基線尺を用いて行われ、その基線の全長距離5209.9697メートルが算出されました。
 その成果をもとに、明治16年(1883年)4月から三角測量が開始され、①相模野基線から長津田村、鳶尾山を測量し、②次にこの2点から連光寺村、浅間山を測量し、③さらにこの2点から丹沢山、鹿野山、日本経緯度原点を測量し、④そしてこの3点を結ぶ三角形の各辺を基準とした日本全国の一等三角点網が形成されていきました。またそれらに基づいて作成された地形図は、途中に縮尺の変更等があったものの、大正14年(1925年)には全国の五万分の一地形図として完成しました。

平成13年4月1日 相模原市教育委員会



雲取山の原三角測點

雲取山山頂に明治時代から在る「原三角測點(測点)」の解説板より

 全国に設置されている三角点は、わが国の測量の基準として利用されるばかりでなく、地殻変動を知る手がかりとしても重要な役割を果たしています。
 わが国における本格的な三角測量は、明治の初期に当時の内務省地理局によって始められました。この雲取山にある「原三角測點」は、現在の形の一等三角点が設置される前、明治16年(1883年)に埋設された測量標識で、測量の歴史上貴重なものです。

 平成10年6月 建設省国土地理院