延喜式の式内社をいくつか訪ねてどんな彫刻がされているか観てきました。神社の彫刻には龍や獅子、鳳凰などの神獣霊獣が、雲や波や花鳥風月を背景に表されているが、神話や故事、説話を題材にしているものもある。
武蔵國が制定された律令時代から一宮(いちのみや)と認定され、武蔵國で一番格式が高い神社とされていた。京王線聖蹟桜ヶ丘駅から歩いて10分ほどの所にあります。創建は紀元前と言われるが、現在の建造物は大正時代の火災後に再建されたもの。
随神門の四方と通路側に彫刻があります。1974年に門が再建された際に施された様だが、緻密で趣きがある。風神と雷神の彫刻が面白い。



京王線府中駅前からケヤキ並木の参道を進んで旧甲州街道を越えると、広い境内にいつも参拝者がいっぱいです。かつての武蔵國の中心地にあり、武蔵総社として國内の一宮から六宮の祭神を集めて祀ってあります。
手水舎に象牙の象、獅子、龍などの彫刻があるが、江戸彫工の飯田勇次郎によるものだそうだ。
武蔵五日市にある多磨郡筆頭の式内社で「あきる野市」の由来となっている。拝殿は破風が二重になった神明作りで美しい。
神輿殿に中国の仙人の彫刻が3つある。龍に変身する前の鯉と子英、乞食の死体に乗り移った李鉄拐、ガマ蛙と共に妖術を使う劉海蟾と思われる。いずれもユーモラスな感じだ。神輿殿の中にあってガラス越しに拝見できる六角形の神輿も珍しいものの様だ。
大宮の氷川神社と奥多摩の奥氷川神社の間にあるので中氷川神社だそうだ。鎮座している狭山湖北の三ケ島から氷川神社までの直線距離は25km、奥氷川神社までは27km。本当にちょうど真ん中だ。
氷川神社は龍神とゆかりが深いので龍の彫刻があちこちに見られる。また本殿の三方には七福神の彫刻がある。頭の長い福禄寿と琵琶を弾く弁財天、杖をついた寿老人と袋を背負った布袋、毘沙門天を中心に俵の大黒天と鯛の恵比寿が居られる。
青梅線御岳駅から2時間掛けて登る惣岳山の山頂にぽつんと本殿があります。金網に囲われていますがイタズラを避けるためにしかたないのでしょう。
紀元前に疫病が全国に流行った時に実在した最初の天皇と言われる崇神天皇が各地の神々に祈念した際に、この地でも祭祀を行ったそうだ。現在の社殿は江戸時代後期の火災の後に再建されたもの。流れ造りで、壁面に見事な彫刻がある。
JR青梅線二俣尾駅から歩いて20分の里宮から、更に愛宕尾根を1時間ほど登った愛宕山に奥の院があります。里宮は近年に作られたもので、9世紀に当初創建されたのは奥の院の方です。そのためか奥の院といっても本殿に拝殿、神門まである立派な作りです。神門の木鼻には獅子の彫刻も施されています。車では決して近くにも行けない山の中なのでちょっとびっくりです。

律令時代に朝廷と国司が國ごとの神社の社格を定めていて、武蔵國の一宮は多摩市の小野神社とされていた。以降諸説あるが、二宮は二宮神社(あきる野市)、三宮は氷川神社(さいたま市)、四宮は秩父神社(秩父市)、五宮は金鑽神社(神川町)、六宮は杉山神社(横浜市)とされている。但し戦国時代以降は大宮市の氷川神社を一宮と呼ぶことが多くなっている。
平安時代の史書「延喜式」に掲載された神社は「式内社」と呼ばれて格式の高い神社とされた。しかし同名の神社がある場合はどちらがそうなのか不明確になってしまっている事もある様だ(論社という)。小野神社と阿伎留神社と秩父神社は式内社、大國魂神社(大麻止乃豆乃天神社)と中氷川神社と青渭神社は論社とされている。
神門は神社、山門はお寺にあってどちらも神域と俗界の境界を示している。神社には鳥居があるので必ずしも必要なわけでないが、お寺には◯◯山と書かれた看板(山号額)がある山門が付きものだ。
中に像が居られる門を随神門と呼び、神門では武装した神像(左大臣・右大臣)が、お寺では多くの場合「阿(あ)、吽(うん)」の仁王(金剛力士)像が安置されている。
神様が居られるのが本殿で、拝むための場所が拝殿。本殿の保護のため覆殿が作られている場合は覆殿の内部に丸々と本殿が入っている。本殿と拝殿の間の屋根を繋げて幣殿を作る場合もあるが、本殿と拝殿を分けず一繋がりに立てる場合も多い。
本殿の切妻屋根の先木(バッテンになって突き出た部分)の先端が縦方向に切れている場合は男の神様、横方向に切れている場合は女の神様といわれている。