武蔵野歴史散歩

 「歴史散歩」とはその土地の史跡や社寺、名所を訪ねて歴史の流れを感じること。ここでは武蔵国府(府中市)、武蔵国分寺(国分寺市)、川越、河越(川越上戸)、扇町屋(入間市)、青梅、高麗(日高市)、7箇所の歴史散歩を紹介します。

  1. 武蔵国府(府中市)
  2. 武蔵国分寺(国分寺市)
  3. 川越
  4. 河越(川越上戸)
  5. 扇町屋(入間市)
  6. 青梅
  7. 高麗(日高市)

武蔵国府(府中市)

 奈良時代に現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部が武蔵国として制定され、府中市にはその中枢となる国府が置かれた。当時の五畿七道のなかでは東山道に属せられた。付近には御嶽塚古墳群や高倉古墳群があり、飛鳥時代から周辺地域の中心だったのではないかと言われている。鎌倉街道上道と甲州街道の交差点もあるので長い間交通の要所になっている。

武蔵国衙跡@武蔵国府
武蔵国衙跡 武蔵国府は現在の大國魂神社を中心とした広い区域にあったが、その中で国衙とは行政を行う中枢の建物。現代でいえば東京都庁だと説明板に書いてあった。
八雲神社@武蔵国府
八雲神社 面している分梅通りは中世に軍勢が陣立てして往来したので陣街道と呼ばれたそうだ。鎌倉街道上道でもあるようだが、そのルートは東山道武蔵路とも合致する。
分倍河原古戦場跡@府中市
分倍河原古戦場跡 新田義貞は上野、越後、武蔵の兵を率いて上野国新田庄から南下。北条軍と小手指ケ原、久米川、分倍河原の戦いを経て、鎌倉幕府を滅亡させた。
熊野神社古墳@武蔵国府 熊野神社古墳 上円下方墳という古墳時代末期に多く作られた形の古墳が復元整備されている。武蔵陵の天皇家のお墓も同じ形だ。装飾品も出土されていて、武蔵国府設立の背景となった有力者の墓と言われている。

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武蔵国分寺(国分寺市)

 律令時代に聖武天皇の命により全国に国分寺が作られましたが、武蔵国分寺はその中でも規模が大きかったので国指定史跡になっています。すごく古い史跡の歴史散歩になりますが、鎌倉時代に焼失してから再建も復元もされていないので、礎石がポツポツと散らばっただけの原っぱが広がっています。それでも説明板が多く配置されていて史跡っぽい場所です。

参道口跡@武蔵国分寺
参道口跡 武蔵国府からの道はここで武蔵国分僧寺と武蔵国分尼寺に別れていたそうだ。Y字路の跡と門柱の跡がある。
僧寺跡@武蔵国分寺
僧寺跡 金堂と講堂がほぼ同じ大きさで並んでいた様だ。礎石が並んでいるが復元はされていない。鐘楼と七重塔の跡もある。
薬師堂@武蔵国分寺
薬師堂 崖線を登ると新田義貞が寄進したと言われる薬師堂があり、国指定重要文化財の薬師如来坐像が安置されている。
尼寺跡@武蔵国分寺
尼寺跡 僧寺と同じく崖線を背にして東山道武蔵路の西側に建てられていた。金堂と講堂、尼坊が真直ぐ並んでいたとされる。
東山道武蔵路跡@武蔵国分寺
東山道武蔵路跡 奈良の都から各国へ整備された官道。武蔵国は当初は東山道に属していたので上野国から分岐していた。
鎌倉街道跡@武蔵国分寺
鎌倉街道跡 国分寺崖線を切り通した道は鎌倉時代からのもの。徳川時代より前は都心よりもこの辺りの方が中枢であった。

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川越

 仙波河岸史跡、仙波東照宮、喜多院、富士見櫓跡、三芳野神社、本丸御殿、中ノ門堀跡、氷川神社、蔵造りの街並みと時の鐘。観光ポイントがいっぱいの歴史散歩ができます。その中でも目を惹く蔵造りの街並みはいかにも江戸時代のままという感じだが、実は明治時代に大火があって以降に作られたという事だ。

本丸御殿@川越
本丸御殿 現存する本丸御殿は貴重で県の指定有形文化財。鬼瓦には当主松平家ゆえんの葵の御紋がある。
仙波東照宮@川越
仙波東照宮 家康の遺骸を久能山から日光東照宮に移す途中、喜多院で4日間法要したゆえんで建立された。
仙波河岸史跡@川越
仙波河岸史跡 新河岸川で水上輸送する為の船着き場の跡。鉄道が発展する昭和初期まで利用されていた。
一番街@川越
川越一番街 江戸っぽい蔵造りの商店と大正ロマンな洋館の旧埼玉りそな銀行がコラボレーション。
丸広デパート@川越
丸広デパート屋上遊園地 地元百貨店の繁盛が元気な地方都市の証し。残念ながら遊園は休園になっている。

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河越(川越上戸)

 平安時代から戦国時代までは川越よりも入間川対岸の上戸地区(東武東上線霞ヶ関駅)の方がこの辺りの中心地でした。ここには武蔵国で勢力を誇っていた武士である河越氏の居館跡があります。また河越氏の氏神であった上戸日枝神社(新日吉山王宮)は、江戸氏に向けて赤坂の日枝神社に分霊をした神社と言われています。

河越館跡@上戸河越
河越館跡 遺構が多く発掘され、土塁や空堀跡のある広い敷地が保管されている。国指定の史跡。
日枝神社@上戸河越
上戸日枝神社 江戸氏がその鎮守社とした赤坂日枝神社を開く際にこの神社から分霊したそうだ。
八差路@上戸河越
八差路 さすがに八つ角は珍しい。内2つは1kmほど直線の日枝神社参道。1つは河越氏館への分岐道。

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扇町屋(入間市)

 江戸時代にこの宿場町を南北に通っていたのが日光脇往還で八王子千人同心が日光東照宮の警備に行くのに利用していた。これを秩父甲州往還道が東西に交差し(現在の西武池袋線沿い)、北東方面には川越道(現在の16号線沿い)も分岐していた。また、宿場町の南端かは青梅道があり明治時代には中武馬車鉄道が敷設されていた。

古きを温ねる公園@入間
古きを温ねる公園 丸広デパート裏の公園では楠の古木を中心にして学校の椅子と苗木が丸く並べられている。古い歴史を新しい世代に伝えているのを表現しているようだ。
下町の古い道標@扇町屋
下町の古い道標 公園の一角には日光脇往還街道と秩父甲州往還の交点にあった道標が移設されている。近くの下町子育地蔵尊は川越道との交点でその道標も保存されている。
上町の古い道標@扇町屋
上町の古い道標 青梅道の分岐点の上町子育地蔵尊にある道標には御岳山、富士山、高尾山、大山、今熊山への案内が刻まれていて、当時の山岳信仰巡礼の盛況を伝えている。
ジョンソンタウン@入間
ジョンソンタウン 戦後のアメリカ進駐軍住居地域であり平屋建てのアメリカンハウスが多く保存されている。一部はショップやレストランになっている。

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青梅

 甲州往還道の一つである青梅街道は武蔵御嶽神社の参詣道でもあり、成木で採掘した石灰を江戸へ運ぶ運搬路でもあった。青梅はその宿場町として発達したが、絹と綿の交織である青梅縞は江戸時代から戦前まで全国的に流通していた特産物だった様だ。
 戦国時代には、平将門の子孫といわれ武蔵国の中で勢力を持っていた三田氏の居城があった地です。現在では昭和レトロの町並みがよく話題になっている。

青梅織物組合@青梅
青梅織物組合 織物加工をしていたノコギリ屋根の建物。青梅織物組合には国登録の有形文化財が4棟あるうちの一つだ。
勝沼公会堂@青梅
勝沼公会堂 青梅駅に着く前に電車から見える。公民館のことを戦前は公会堂と言ったそうで今風に言えばコミセンだ。
協同井戸@青梅
現役の共同井戸 駅から多摩川に下りる途中にある。多摩川の左岸には良い水が湧くのか何軒かの造り酒屋がある。
勝沼城跡@青梅
勝沼城跡 戦国時代は三田氏の居城だったが小田原北条に滅ぼされて北条氏照の管理下になったらしい。
辛垣城跡@青梅
辛垣城跡 青梅丘陵ハイキングコースの途中にある。北条に対する三田氏最後の抵抗の拠点となった所。
天寧寺@青梅
天寧寺 敷地は決して広くはないが七堂伽藍を構えた立派なお寺です。平将門が開いたとされています。

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高麗(日高市)

 668年、中国東北部から朝鮮北部を領有していた高句麗は唐と新羅に攻められて滅亡。乱を逃れた貴族や僧は日本の東国に移り住んだが、奈良時代になってこの地に高麗郡が設置されて、高麗若光が初代郡司となった。後にこの高麗若光を祀ったのが高麗神社だ。
 高麗神社だけでは少し歩き足りなかったので、高麗川沿いを川原の藪で道に迷ったり、飛び石の橋を渡ったりしながら散歩をした。

高麗神社@日高市
高麗神社 山の裾の古いおやしろなのだろうと勝手に想定していたが、大きくて立派な神社だった。
八高線踏切@日高市
八高線踏切 高麗川駅から先の八高線はディーゼル区間となる。架線のない線路はとても開放的だ。
多和目天神社@日高市
多和目天神社のカゴノキ 南国の木で関東では珍しい。樹齢800年、迫力がある鹿の子模様の古木だ。
高麗川の流れ@日高市
高麗川の流れ 蛇行が激しく巾着田が何ヶ所もある様な地形だ。蛇行が一つ終わる度に堰があるがちゃんと魚道(写真手前)が作られている。
高麗川天神橋@日高市
高麗川天神橋 趣のある簡素な橋だ。付近には大きな橋は殆んど無い。1t以下なら車も通れる様だが、床板がバコバコなりそうだ。

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