武蔵野歴史散歩

川越

 仙波河岸史跡、仙波東照宮、喜多院、富士見櫓跡、三芳野神社、本丸御殿、中ノ門堀跡、氷川神社、蔵造りの街並みと時の鐘。観光ポイントがいっぱいの歴史散歩ができます。その中でも目を惹く蔵造りの街並みはいかにも江戸時代のままという感じだが、実は明治時代に大火があって以降に作られたという事だ。

本丸御殿@川越
本丸御殿 現存する本丸御殿は貴重で県の指定有形文化財。鬼瓦には当主松平家ゆえんの葵の御紋がある。
仙波東照宮@川越
仙波東照宮 家康の遺骸を久能山から日光東照宮に移す途中、喜多院で4日間法要したゆえんで建立された。
仙波河岸史跡@川越
仙波河岸史跡 新河岸川で水上輸送する為の船着き場の跡。鉄道が発展する昭和初期まで利用されていた。
一番街@川越
川越一番街 江戸っぽい蔵造りの商店と大正ロマンな洋館の旧埼玉りそな銀行がコラボレーション。
丸広デパート@川越
丸広デパート屋上遊園地 地元百貨店の繁盛が元気な地方都市の証し。残念ながら遊園は休園されている。

上戸 河越

 平安時代から戦国時代までは川越よりも入間川対岸の上戸地区(東武東上線霞ヶ関駅)の方がこの辺りの中心地でした。ここには武蔵国で勢力を誇っていた武士である河越氏の居館跡があります。また河越氏の氏神であった上戸日枝神社(新日吉山王宮)は赤坂の日枝神社に分霊をした神社と言われています。

河越館跡@上戸河越
河越館跡 遺構が多く発掘され、土塁や空堀跡のある広い敷地が保管されている。国指定の史跡。
日枝神社@上戸河越
上戸日枝神社 江戸氏がその鎮守社とした赤坂日枝神社を開く際にこの神社から分霊したそうだ。
八差路@上戸河越
八差路 さすがに八つ角は珍しい。内2つは1kmほど直線の日枝神社参道。1つは河越氏館への分岐道。

入間(扇町屋)

 江戸時代にこの宿場町を南北に通っていたのが日光脇往還で八王子千人同心が日光東照宮の警備に行くのに利用していた。これを秩父甲州往還道が東西に交差し(現在の西武池袋線沿い)、北東方面には川越道(現在の16号線沿い)も分岐していた。宿場町の南端からは青梅道があり明治時代には中武馬車鉄道が敷設されていた。

古きを温ねる公園@入間
古きを温ねる公園 丸広デパート裏の公園では楠の古木を中心にして学校の椅子と苗木が丸く並べられている。古い歴史を新しい世代に伝えているのを表現しているようだ。
下町の古い道標@扇町屋
下町の古い道標 公園の一角には日光脇往還街道と秩父甲州往還の交点にあった道標が移設されている。また近くの下町子育地蔵尊は川越道との交点でその道標も保存されている。
上町の古い道標@扇町屋
上町の古い道標 青梅道の分岐点の上町子育地蔵尊にある道標には御岳山、富士山、高尾山、大山、今熊山への案内が刻まれていて、当時の山岳信仰巡礼の盛況を伝えている。
ジョンソンタウン@入間
ジョンソンタウン 戦後のアメリカ進駐軍住居地域であり平屋建てのアメリカンハウスが多く保存されている。一部はショップやレストランになっている。

青梅

 甲州往還道の一つである青梅街道は武蔵御嶽神社の参詣道でもあり、成木で採掘した石灰を江戸へ運ぶ運搬路でもあった。青梅はその宿場町として発達したが、絹と綿の交織である青梅縞は江戸時代から戦前まで全国的に流通していた特産物だった様だ。
 古くには戦国時代に武蔵国の中で勢力を持っていた三田氏の居城があった地です。現在では昭和レトロの町並みがよく話題になっている。

青梅織物組合@青梅
青梅織物組合 ノコギリ屋根の旧織物加工工場。青梅織物組合には国登録有形文化財が4棟ありそのうちの一つだ。
勝沼公会堂@青梅
勝沼公会堂 青梅駅に着く前に電車から見える。公民館のことを戦前は公会堂と言ったそうで今風に言えばコミセンだ。
協同井戸@青梅
現役の共同井戸 駅から多摩川に下りる途中にある。多摩川の左岸には良い水が湧くのか何軒かの造り酒屋がある。
勝沼城跡@青梅
勝沼城跡 戦国時代は三田氏の居城でしたが、小田原北条に滅ぼされて北条氏照の管理下になったらしい。
辛垣城跡@青梅
辛垣城跡 青梅丘陵ハイキングコースの途中にあり、勝沼城の西にあったので西城とも呼ばれていたそうだ。
天寧寺@青梅
天寧寺 敷地は決して広くはないですが七堂伽藍を構えた立派なお寺で、平将門が開いたとされています。

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