「歴史散歩」とはその土地の史跡や社寺、名所を訪ねて歴史の流れを感じること。ここでは武蔵国府(府中市)、武蔵国分寺(国分寺市)、川越、河越(川越上戸)、扇町屋(入間市)、青梅、高麗(日高市)、7箇所の歴史散歩を紹介します。
奈良時代に現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部が武蔵国として制定され、府中市にはその中枢となる国府が置かれた。当時の五畿七道のなかでは東山道に属せられた。付近には御嶽塚古墳群や高倉古墳群があり、飛鳥時代から周辺地域の中心だったのではないかと言われている。鎌倉街道上道と甲州街道の交差点もあるので長い間交通の要所になっている。
律令時代に聖武天皇の命により全国に国分寺が作られましたが、武蔵国分寺はその中でも規模が大きかったので国指定史跡になっています。すごく古い史跡の歴史散歩になりますが、鎌倉時代に焼失してから再建も復元もされていないので、礎石がポツポツと散らばっただけの原っぱが広がっています。それでも説明板が多く配置されていて史跡っぽい場所です。
仙波河岸史跡、仙波東照宮、喜多院、富士見櫓跡、三芳野神社、本丸御殿、中ノ門堀跡、氷川神社、蔵造りの街並みと時の鐘。観光ポイントがいっぱいの歴史散歩ができます。その中でも目を惹く蔵造りの街並みはいかにも江戸時代のままという感じだが、実は明治時代に大火があって以降に作られたという事だ。
![]() 本丸御殿 現存する本丸御殿は貴重で県の指定有形文化財。鬼瓦には当主松平家ゆえんの葵の御紋がある。 |
![]() 仙波東照宮 家康の遺骸を久能山から日光東照宮に移す途中、喜多院で4日間法要したゆえんで建立された。 |
![]() 仙波河岸史跡 新河岸川で水上輸送する為の船着き場の跡。鉄道が発展する昭和初期まで利用されていた。 |
![]() 川越一番街 江戸っぽい蔵造りの商店と大正ロマンな洋館の旧埼玉りそな銀行がコラボレーション。 |
![]() 丸広デパート屋上遊園地 地元百貨店の繁盛が元気な地方都市の証し。残念ながら遊園は休園になっている。 |
平安時代から戦国時代までは川越よりも入間川対岸の上戸地区(東武東上線霞ヶ関駅)の方がこの辺りの中心地でした。ここには武蔵国で勢力を誇っていた武士である河越氏の居館跡があります。また河越氏の氏神であった上戸日枝神社(新日吉山王宮)は、江戸氏に向けて赤坂の日枝神社に分霊をした神社と言われています。
![]() 河越館跡 遺構が多く発掘され、土塁や空堀跡のある広い敷地が保管されている。国指定の史跡。 |
![]() 上戸日枝神社 江戸氏がその鎮守社とした赤坂日枝神社を開く際にこの神社から分霊したそうだ。
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![]() 八差路 さすがに八つ角は珍しい。内2つは1kmほど直線の日枝神社参道。1つは河越氏館への分岐道。 |
江戸時代にこの宿場町を南北に通っていたのが日光脇往還で八王子千人同心が日光東照宮の警備に行くのに利用していた。これを秩父甲州往還道が東西に交差し(現在の西武池袋線沿い)、北東方面には川越道(現在の16号線沿い)も分岐していた。また、宿場町の南端かは青梅道があり明治時代には中武馬車鉄道が敷設されていた。
甲州往還道の一つである青梅街道は武蔵御嶽神社の参詣道でもあり、成木で採掘した石灰を江戸へ運ぶ運搬路でもあった。青梅はその宿場町として発達したが、絹と綿の交織である青梅縞は江戸時代から戦前まで全国的に流通していた特産物だった様だ。
戦国時代には、平将門の子孫といわれ武蔵国の中で勢力を持っていた三田氏の居城があった地です。現在では昭和レトロの町並みがよく話題になっている。
668年、中国東北部から朝鮮北部を領有していた高句麗は唐と新羅に攻められて滅亡。乱を逃れた貴族や僧は日本の東国に移り住んだが、奈良時代になってこの地に高麗郡が設置されて、高麗若光が初代郡司となった。後にこの高麗若光を祀ったのが高麗神社だ。
高麗神社だけでは少し歩き足りなかったので、高麗川沿いを川原の藪で道に迷ったり、飛び石の橋を渡ったりしながら散歩をした。
![]() 高麗神社 山の裾の古いおやしろなのだろうと勝手に想定していたが、大きくて立派な神社だった。 |
![]() 八高線踏切 高麗川駅から先の八高線はディーゼル区間となる。架線のない線路はとても開放的だ。 |
![]() 多和目天神社のカゴノキ 南国の木で関東では珍しい。樹齢800年、迫力がある鹿の子模様の古木だ。 |
![]() 高麗川の流れ 蛇行が激しく巾着田が何ヶ所もある様な地形だ。蛇行が一つ終わる度に堰があるがちゃんと魚道(写真手前)が作られている。 |
![]() 高麗川天神橋 趣のある簡素な橋だ。付近には大きな橋は殆んど無い。1t以下なら車も通れる様だが、床板がバコバコなりそうだ。 |