只見幹線は福島県や新潟県の只見川系発電所群と首都圏を結ぶ送電線鉄塔です。はるばる尾瀬を越えて敷設されている事は単純にすごいと思います。
このページでは只見幹線の首都圏部のルート地図、および数ヶ所の確認レポートを載せています。確認に出かけた各所ではついでに付近の名所を観てきましたが、そうするなかで只見幹線のルートは、律令時代の東山道武蔵路や、新田義貞が鎌倉幕府を攻めた時の進軍路など古くから人の行き来があった経路に近いことが解ってきました。
川越ICのすぐ東に、南川越変電所(写真左上)があります。456番で入って、457番に出ていました。キリが良い450番鉄塔は、川越ICの北の畑が広がった中にありました(写真右上)。
近くには山王塚古墳(写真左下)があります。東山道武蔵路の開削に携わった在地首長の墓と言われていて、上円下方墳という形は高尾の皇室墓地と同じです。
入間川河畔まで足を伸ばすと幻の安比奈駅(写真右下)があります。気になる方は こちら へ。
東京の水源の多摩湖・狭山湖があるのが狭山丘陵で、その端に八国山緑地があります。西武線からのアクセスが良くて自然が楽しめる所です。只見幹線のちょうど500番目の鉄塔(写真左上)は、所沢市と東村山市の境界線にもなっている八国山緑地の尾根道にあります。
緑地内には将軍塚(写真右上)があります。上野国の新田義貞が鎌倉幕府を攻めた時に陣を張ったと言われています。近くには北山公園の菖蒲園(写真左下)があり開花時期には露店も出ます。また多摩湖(写真右下)は東京近郊随一の広々とした展望があり、とても気持ちが良い所です。
510番鉄塔(写真左)は私が只見幹線の存在に気付いた鉄塔です。西武線東大和市駅から野火止用水を辿るとカクンと進路を変える所があります。ここから2kmほど真っ直ぐな水道用地が分岐していて、只見幹線はその上を通っています(写真右)。この水道用地は野火止用水から東村山浄水場への導水路と思われます。気になる方は こちら へ。
東京都の真ん中を東西に走っているJR中央線を渡ると529番鉄塔です。駅でいうと西国分寺駅の西にあるこの鉄塔は赤白のツートーンカラーです(写真左)。
駅の東側には東山道武蔵路跡(写真右)があります。律令時代に上野国から武蔵国の間に作られた官道ですが、そのルートは群馬県太田の新田の辺りから始まっていて只見幹線のルートと似ています。500番鉄塔の所に新田義貞が鎌倉幕府を攻めた話を書きましたが、新田義貞の進軍ルートもきっと似ているはずです。
京王線百草園駅からキリが良い只見幹線550番鉄塔を目指します。駅のそばの自動車教習所の中には546番鉄塔ががあります(写真左上)。教習所の中に鉄塔があるのも珍しい気がしますがどちらが先に出来たのでしょう。
駅から二つ目の尾根にTEPCO総合研修センターの広い敷地があり、550番鉄塔はその中にあるようです。裏側に回って見上げて写真を撮りました(写真右上)。
近くには百草八幡に向かう参道の傍に百草六地蔵が居られます(写真左下)。この参道を進んで行くと百草園があり、アヤメがちょうど綺麗に咲いていました(写真右下)。
只見幹線の終点は多摩丘陵の真光寺町にある西東京変電所です。境界が入り組んだ場所なので鉄塔は多摩市⇒町田市⇒川崎市⇒町田市と経由します。変電所に入る直前の571番鉄塔は赤白に塗られた立派な鉄塔です。(写真左上、右上、左下)
農作地の谷戸が多くのどかな多摩丘陵ですが、尾根を越えると一転して多摩ニュータウンの閑静な住宅街が広がっています。
この尾根に防人見返りの峠(写真右下)がありました。奈良時代からの古道らしいですが、その頃に九州の辺防をした防人は主に東国から徴兵されたそうです。はるかかなたに旅立つ兵士が最後に故郷を振り返った展望地ということなのでしょう。